てきちゃん漂流日記

サイキック寿司屋

紳士協定

4月からプロジェクトがついに始動した。

 

もう、見事にすってんてん。こんなにズッコケるのかと思うほどのすってんてん。始動してから発覚する数々の未確認業務の存在。テスト期間で既に業務を回せていないのだから、初っ端から破綻している。ある者は悲鳴を上げ、ある者はブチギレて阪神の下柳みたいになっている。チームは25人ほどだが、定時で帰れているのは私含めて3人である。みんな夜遅くまで残業しているし、土曜日の今日も無理やり出勤している人もいるらしい。

 

僕はというと、幸運にも月初はめちゃめちゃ暇だ。金を稼ぐため週2回残業はするものの、別に作業に追われている訳ではなく、マニュアルの改善、これまでに頭を悩ませてきたイレギュラーの事例集の作成などをちまちま進めている。たまに、こっちのチームのサブ担当業務を手伝ったりもする。

デスマーチと化した向こうのチームを救出することも今となってはできず、僕の仕事は細く長く働くことと言い聞かせ、同じく暇な50代の先輩と定時で会社を抜け出す。帰り道に宇多田ヒカルのベストアルバムが楽しみですなあと話したりする。

この先輩は、ExcelOutlookを今まで使ったことがないという今日稀な方なのだが、本当に尊敬するのは何が何でもいつもニコニコしていることだ。とにかく負のオーラを出さない。なかなかできないことだと思う。喋り方は太平サブローのまんまだが。

そんな先輩と金曜日の帰り道、条約を結んだ。あの職場はますます殺伐としてきているが、僕たちはバタバタしても、笑顔でニコニコのんびりやろう。そう二人で決めた。

 

まずは毎日元気に働き続けることを目標に、ふら〜っと障害者枠で入社したらこの有り様。休職者が続出し、減った人員は派遣社員で補填され、知らない人がオフィスに増えていく。従業員を大切にしているのかなあと思うし、このプロジェクトで誰が幸せになったのだろうとは思う。

 

そんな感じで迎える2週目、まだまだ僕は暇なはず。

振り返ると誰もいない

もう職場はえらいこっちゃである。

 

ヘッドギアを装着し、思念で寿司を握るテストパイロットとして集められた僕たち。早いもので来週から実戦投入となる。私が入社した昨年10月頃はみんなへらへらしていたものの、徐々にXデーが近づいていくと、昼休みに黙々と仕事したり、こっそり休日に出勤してやろうかと言い出す人もいる。今日は、3月入社の新入社員たちが残業するぞと言い始めて結構な時間残るらしい。

 

それはさておき、今日の僕は定時で帰り、家でいいちこをぐびぐび飲んでいる。なんだかよくわからないけど、自分のパートはいけそうな気がしている。僕は2つのチームを担当しているけれど、どちらも締切にある程度のゆとりがあり、考える時間が与えられている。スピードよりもロジック重視で、他チームのように急かされることは繁忙期以外あまりない。この半年で基本となる手順はだいたい頭に叩き込んだ。イレギュラーがあっても、手にした時間でじっくり考えればいい。たぶんなんとかなる。

 

と思っているが、とても心配なことが1つある。僕以外この業務を今ひとつ理解できていないという点である。要は、軍艦巻きの本質を知っているのは僕しかいない。好きなタイミングでふらっと休めない。僕が交通事故に遭ったらもう終わり。

障害者雇用で入社したのだが、ここまで訳のわからない業務を任されるとは思っていなかった。正直、これを理解できる弟子は今後現れないのではと思う。10年後も軍艦巻きを作り続けていそうな気がする。

 

もう本当に困ったなあという時期なので、ちゃんと薬を飲むよう心がけている。酒を飲んで薬をサボったりしがちだったけど、ちゃんと薬を飲む。すると、朝目覚めると心は穏やかで、効いてるなあという実感はある。やっぱ効くでこれは。

 

そんな3月最終週でどうしたもんかなあと思いながら、ひっちゃかめっちゃかなオフィスの片隅で、淡々とディスプレイとにらめっこしている。

 

 

へっぽこ物理修行

何か熱中できるものはないかなあと常々思っている。流行などを無視してこれだ!と思うものを飽きずにこつこつやるということ。

 

その欲望の源流はなんだろなとぼんやり遡って考えていくと、要は「話のネタ」が尽きてきたからなんだと思う。塾講師のバイトをして教え子にあることないことを話したり、研究室のゼミで研究内容と全然関係ないけど興味のあることを発表したり、そういう場面が今は無い。インプットしたことをアウトプットするために、考えを整理して構造化することも無いので、なんだか物足りない感じがする。

 

それではと、物事に熱中していた気がする頃まで遡っていくと、高校時代に行き着く。日本史と物理と音楽。この中から選ぼう。久々に物理をやってみるかと思い、山のように積まれた本の麓を引っこ抜く。やまぐち健一の名著『わくわく物理探検隊NEO』。必要としている時に、何故かいい感じに積ん読があるのがてきちゃん邸である。

 

微積分が苦手で、大学で力学の単位を落としたけれど、物理は大好きだった。ノートを買って、図書館の自習室で勉強してみる。等加速度運動ぐらいならちょちょいのちょいである。放物運動もx方向とy方向に分解して解いていく。相対速度の問題は、あっち側とこっち側で視点を変えて式を立ててみて、両方とも成立することを確認したりもする。必死に勉強している高校生たちを横目に満足満足と帰宅する。次の単元は運動方程式だが、記憶が既に怪しくなっている。

 

宿題や試験に追われていた学生時代は、行き詰まったりした時、丸付けをしていたら答えに別解が書いてあってなんだか面倒くさそうな時、やだなあと思っていたけれど、そういう制約がなく納得行くまで考えていいとなると凄く自由な感じがする。また、問題を考えている間、仕事などをそこそこ忘れることができる点が、自分にとっては大きい。感情に振り回されず淡々としている。SNSを見るより物理だ!

という感じで、満員電車の中で方程式とにらめっこしていたりする。相対性理論量子力学までやってみたいと思ってはいるが、いつまで続くかはさっぱりわからず。

何も写ってないけれど

ようやく肋骨の骨折の痛みがなくなった。くしゃみをしたら、次第に背中が痛くなって寝返りすらできなくなったのは2週間前。

近所の病院へタクシーで向かい、診察を受け、レントゲンを撮ってもらう。結果を見ると、肋骨にひび等は見られず、特に異常のないように見受けられる。しかし、先生は骨折ですなあと言い、すると、診察室の奥の本棚をガサゴソと探し始めた。しばらくして、1枚の紙を取り出し、僕に手渡した。それは、肋骨骨折に関する医学書のコピーで、先生が赤鉛筆で線を引きながら説明していく。そこには確かに、レントゲン検査が陰性でもこういう場合は骨折と診断する、と記載されていた。くしゃみで骨折しちゃうなんてという若干の恥ずかしさ、痛みの原因が定まったことによる安堵。それに加えて、目に見えないけれど定まってしまうことに対して不思議だなあと思う気持ちがあった。本棚から医学書を拾ってそれをコピーするのではなく、わざわざコピーのストックを残しているのだから、みんなバキバキ折っているもだろう。

 

それから、胸部に巻くバンドと湿布と痛み止めでなんとか日々をしのいで、今日に至る。

この骨折が、仕事の忙しくない時で本当に良かった。あの訳のわからない仕事をする上で、身体は大切にしないといけない。本当に身体が硬いので、そこをまずはなんとかしなくちゃだ。ゆっくりでいいから、ストレッチしてみようか。

 

何かに熱中したい。なんだかんだで精神の方は症状が安定しているものの、その裏返しでガッと継続して集中することができなくなってしまった。大好きだった本も最近は全然読んでいない。身体を動かしてみようかなと思ったりするけど、結局億劫になってやらない。元々飽きっぽい正確であることも相まって、どうせ飽きるしなあと思ってしまって、何か1つのことにもどっぷりハマれず、プライベートの時間で本気になれない自分がいる。それが自分自身に対して最近嫌だなって思う一面。

移るものと留まるもの

現在、週2ペースで残業している。就労移行支援事業所に通っていた経緯から、あんまり残業し過ぎると、会社からも事業所からも体調をやたら心配される。それが面倒でギリギリ許されそうな週2なのだが、やらなければならないことが流石に増えてきたので残業したいなあと思っている。

 

今日は残業無しで定時で帰る。環状線の椅子取りゲームに失敗して立ちっぱなし。向かいのホームの奈良行きの電車を見て、最近奈良行ってないなあとぼんやり思ったりする。

 

家に着くのは19時頃。やっぱり定時退社は素晴らしいなあと感じる。家にネタやシャリを用意できないので、在宅勤務をすることができない。社用PCやスマホを持っていない。だから、前職の頃のように自宅でメールを返したりしなくていい。そこが、かなりいいなと思っている。ただ、仕事に対する不安がよぎったりはする。家に帰ったら仕事モードはシャットダウンして、のんびり日記を書いて自分だけの世界に入り込もうとする。テレビは騒がしいと感じるようになってしまい、めっきり見なくなってしまった。

照明を暗くして過ごし、21時半には寝てしまっている。その代わり、朝は5時に起きている。

 

高速道路を走っていて早朝、地方のパーキングエリアの、湿った土と草の匂いが大好きなんだけど、今住んでいる街は夜が明けてもそういう匂いが一切しない。職場から家まで近くなったらいいなあと思う一方、土の匂いがする所に住みたいと思い始めている。そうなると、奈良かなあ。奈良は土の匂いがするのだろうか。

 

成功も失敗も無く、だらだらと浮かんだことを書いていくのが久々で楽しい。日記をノートに書いていた数ヶ月前は、1日1ページと決めていたから、文章の構成というか計画性が求められてそんなに自由ではなかったよなと今振り返って思う。ブログは何も考えずに書けてしまう。てきちゃん漂流日記を書き始めた3年前、結構な文量を毎回書いていたような気がする。不眠で暇だから日記のことばかり考えているのか、日記で何を書こうか考えているから不眠になっているのか。よくわからない頃だった。

 

ブログの内容を束ねて自分で本を作ったことがあるのだけど、そこに記された日常も昔のことのように感じてしまい、今ではうろ覚えになっている。双極の光と闇は、自分の手元から離れている。確かに自分であったはずの過去の自分とは、引っ張った一直線から何かズレたんだろうなと思う。忘れているのだけど、本として記録しているから安心感はある。読者が代わりに覚えている。当時の感覚はもう持つことはできないのだろうけど、今は今の感覚を大事にしていけばいいのだろう。それがケアなのかなあと漠然と考えていたりする。

自分は一体何者なんだろうと悩むことは今はもうなくなったけれど、今抱いてる感覚や感情は、どれだけ昔から存在し、これから先いつまで存在するのだろうと、ふと不思議に思うことがある。今はケロッと病気が治ったような状態なので、尚更不思議なのだろう。何年先でも、土の匂いって僕にとってはそんなに大事なものなのだろうかと、書きながらこれまた不思議に感じている。

 

そんな感じで、書くことないなあと思いながらも書いてみると、持ち前の連想ゲームのせいで気づいたら中々の文字数になっている。漠然とした不思議、疑問が自分の周りを円を描いて飛び交うイメージ、そこは当時と変わっていない肌触りがする。あんまり書きすぎると寝る時間が遅くなるので、続きは次回。

寿司屋の思念体

朝、最寄り駅まで歩いていると、横からカップルが腕を組んで現れた。そのまま僕の前を歩いている。女性は黒いパーカーを羽織っているが、よく見るとフードにうさ耳が付いている。それも30cmぐらいの長さの。フードをかぶったら、ピンと真っ直ぐになるのだろうかと不思議に思った。

 

家から職場である寿司屋まで、片道1時間半もかかる。先週、くしゃみで肋骨を折ってしまったため、満員電車で患部を押されると機嫌が悪くなる。

 

入社して4ヶ月半、愚痴が溢れるように出てくる。こんなに炎上するものか、こりゃどうしたものかと思うが、新入社員の僕は黙って見ているしかない。最近は、僕の役割は毎日淡々と仕事をすることであり、余計な心配をしてはならぬと思い始め、もはや他人事のように横目で見ている。自分の担当業務だけ手堅く固めて巻き添えを食らわないようにしている。給料が割と良い、職場の皆さんはフレンドリー、自分の能力をフルに使ってギリギリできそうな難易度だ。まあ続けてみようかと、ヘッドギアを通じて思念と祈りで、空中で白い軍艦に海苔を巻いたりする。

 

業務内容は、まあ難しい。正直なところ、それなりに経験のあった僕が入社していなかったら、この寿司屋は今頃閉店していたのではないかと思われる。コンピュータ上で様々なパラメータを観察・調整し、正しい寿司の形態を生み出すのが任された仕事であるが、ほんの僅かな数値の違いでテトラポットみたいな巻き寿司ができてしまう。違和感を持てるかどうかに全てがかかっているし、そのためには、各パラメータをいじると何が起きるかを知識と経験から熟知しなければならない。マニュアルゴリゴリの仕事内容と思って入社したが、意外と暗黙知が大切だったりして、そこに楽しさを感じる。

 

家に帰って、ベッドの上でうにゃうにゃと考えて、でたらめな短歌を作ったりする。自分の頭で何かを作りたくなる。目をつぶって、行きの電車の窓から見える風景を、動画として思い出そうとしたりするが、数枚の画像がパラパラ漫画のように粗い精度で出力されるに留まる。

今朝、ニュースを見ていたら、動画を生成するAIの話題になり、こりゃ負けたかもしれんなあと少し悲しくなった。

あらすじ

2020年11月、以前から予兆がちらちら見えていた双極性障害が大爆発、危うく死にかける。休職してゴロゴロ生活を送っている中でブログ「てきちゃん漂流日記」を開設した結果、奇妙な人生を歩むこととなり、様々な素敵な出会いを得る。意気揚々と復職したがあえなく惨敗、2022年10月末、すたこらと退職。

それからは就労移行支援事業所で修行の日々が始まり、同世代の戦友たちと就職戦線をともにする。この頃から、漂流日記はブログではなく紙に手書きするスタイルへ。2023年10月に就職。さらに、現在の恋人とお付き合いすることになる。明るく自然体の恋人の影響で、幼い頃から抱いていた根暗な感情が嘘のよう、びっくりするほどのハッピー人間が爆誕する。一方で、ハッピー人間の日記なんか誰が読むんじゃいとも思い、日記を書かなくなってしまった。

 

仕事については、誰にも言えない内容。誰かに質問された時は、頭に取り付けたヘッドギアを介して、脳波で寿司を握る機械のテストパイロットをしていると嘘をつくようになる。実際のところだいたい合っている。2024年4月から実戦配備予定。

 

2024年1月頃、ハラユキさんの著書『誰でもみんなうつになる』にて、てきちゃんが漫画になる。関連ツイートが2000RT超え。へっぴり腰のてきちゃん、ビビってしまいTwitterのアカウントが非公開になる。並行して、現れては心をかき乱してすぐに忘れられていくような事柄を見るのに嫌気が差し、Twitter自体をあまり見なくなる。関心が内向きになる。

 

正社員として社会復帰してから、若干の不安はあるものの体調を崩すことなく働き続けている。サボタージュを起こす気もなく、この感覚を大学時代から手にしていたらと思うばかり。大学の同期たちは一級建築士に合格したりして、そういうのを見て僕も何か一発やらかすかという気になり、さらなるスキルアップを目指して社労士の勉強を始める。寿司屋だって労働基準法は詳しくないといけない。

 

だけど、左脳ガチガチの生活を送っていると、建築学生時代から大切にしてきた創造性を封じ込むことになってつまらないよなあと思い始めて、てきちゃん漂流日記復活に至る。

 

でもどうせ、三日坊主かなあという気もする。