てきちゃん漂流日記

サイキック寿司屋

へっぽこ物理修行

何か熱中できるものはないかなあと常々思っている。流行などを無視してこれだ!と思うものを飽きずにこつこつやるということ。

 

その欲望の源流はなんだろなとぼんやり遡って考えていくと、要は「話のネタ」が尽きてきたからなんだと思う。塾講師のバイトをして教え子にあることないことを話したり、研究室のゼミで研究内容と全然関係ないけど興味のあることを発表したり、そういう場面が今は無い。インプットしたことをアウトプットするために、考えを整理して構造化することも無いので、なんだか物足りない感じがする。

 

それではと、物事に熱中していた気がする頃まで遡っていくと、高校時代に行き着く。日本史と物理と音楽。この中から選ぼう。久々に物理をやってみるかと思い、山のように積まれた本の麓を引っこ抜く。やまぐち健一の名著『わくわく物理探検隊NEO』。必要としている時に、何故かいい感じに積ん読があるのがてきちゃん邸である。

 

微積分が苦手で、大学で力学の単位を落としたけれど、物理は大好きだった。ノートを買って、図書館の自習室で勉強してみる。等加速度運動ぐらいならちょちょいのちょいである。放物運動もx方向とy方向に分解して解いていく。相対速度の問題は、あっち側とこっち側で視点を変えて式を立ててみて、両方とも成立することを確認したりもする。必死に勉強している高校生たちを横目に満足満足と帰宅する。次の単元は運動方程式だが、記憶が既に怪しくなっている。

 

宿題や試験に追われていた学生時代は、行き詰まったりした時、丸付けをしていたら答えに別解が書いてあってなんだか面倒くさそうな時、やだなあと思っていたけれど、そういう制約がなく納得行くまで考えていいとなると凄く自由な感じがする。また、問題を考えている間、仕事などをそこそこ忘れることができる点が、自分にとっては大きい。感情に振り回されず淡々としている。SNSを見るより物理だ!

という感じで、満員電車の中で方程式とにらめっこしていたりする。相対性理論量子力学までやってみたいと思ってはいるが、いつまで続くかはさっぱりわからず。