てきちゃん漂流日記

サイキック寿司屋

移るものと留まるもの

現在、週2ペースで残業している。就労移行支援事業所に通っていた経緯から、あんまり残業し過ぎると、会社からも事業所からも体調をやたら心配される。それが面倒でギリギリ許されそうな週2なのだが、やらなければならないことが流石に増えてきたので残業したいなあと思っている。

 

今日は残業無しで定時で帰る。環状線の椅子取りゲームに失敗して立ちっぱなし。向かいのホームの奈良行きの電車を見て、最近奈良行ってないなあとぼんやり思ったりする。

 

家に着くのは19時頃。やっぱり定時退社は素晴らしいなあと感じる。家にネタやシャリを用意できないので、在宅勤務をすることができない。社用PCやスマホを持っていない。だから、前職の頃のように自宅でメールを返したりしなくていい。そこが、かなりいいなと思っている。ただ、仕事に対する不安がよぎったりはする。家に帰ったら仕事モードはシャットダウンして、のんびり日記を書いて自分だけの世界に入り込もうとする。テレビは騒がしいと感じるようになってしまい、めっきり見なくなってしまった。

照明を暗くして過ごし、21時半には寝てしまっている。その代わり、朝は5時に起きている。

 

高速道路を走っていて早朝、地方のパーキングエリアの、湿った土と草の匂いが大好きなんだけど、今住んでいる街は夜が明けてもそういう匂いが一切しない。職場から家まで近くなったらいいなあと思う一方、土の匂いがする所に住みたいと思い始めている。そうなると、奈良かなあ。奈良は土の匂いがするのだろうか。

 

成功も失敗も無く、だらだらと浮かんだことを書いていくのが久々で楽しい。日記をノートに書いていた数ヶ月前は、1日1ページと決めていたから、文章の構成というか計画性が求められてそんなに自由ではなかったよなと今振り返って思う。ブログは何も考えずに書けてしまう。てきちゃん漂流日記を書き始めた3年前、結構な文量を毎回書いていたような気がする。不眠で暇だから日記のことばかり考えているのか、日記で何を書こうか考えているから不眠になっているのか。よくわからない頃だった。

 

ブログの内容を束ねて自分で本を作ったことがあるのだけど、そこに記された日常も昔のことのように感じてしまい、今ではうろ覚えになっている。双極の光と闇は、自分の手元から離れている。確かに自分であったはずの過去の自分とは、引っ張った一直線から何かズレたんだろうなと思う。忘れているのだけど、本として記録しているから安心感はある。読者が代わりに覚えている。当時の感覚はもう持つことはできないのだろうけど、今は今の感覚を大事にしていけばいいのだろう。それがケアなのかなあと漠然と考えていたりする。

自分は一体何者なんだろうと悩むことは今はもうなくなったけれど、今抱いてる感覚や感情は、どれだけ昔から存在し、これから先いつまで存在するのだろうと、ふと不思議に思うことがある。今はケロッと病気が治ったような状態なので、尚更不思議なのだろう。何年先でも、土の匂いって僕にとってはそんなに大事なものなのだろうかと、書きながらこれまた不思議に感じている。

 

そんな感じで、書くことないなあと思いながらも書いてみると、持ち前の連想ゲームのせいで気づいたら中々の文字数になっている。漠然とした不思議、疑問が自分の周りを円を描いて飛び交うイメージ、そこは当時と変わっていない肌触りがする。あんまり書きすぎると寝る時間が遅くなるので、続きは次回。